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模型飛行機制作や実機について、疑問、悩み、ひらめき、完成時の感動などを記録します。
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seden4 いつものように手当たり次第にフカフカの超軽いバルサを(もちろん瞬間接着剤で)貼りました。エアダクト部分はまだ完成状態ではありませんが、2mm弱の隙間をあけ、カーボンを張った上にプランクしました。
 仕事が繁忙期を迎えたのと、風邪で寝込んでいたため、上面半分作るのに2週間もかかってしまいました。こんなことでは2009新年飛行会に間に合わなくなりそう!

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senden3 胴体は完全な丸胴。製作方法は経験に基づき、上下分割の甲板張りとしました。よくもまあ、これだけのものを図面もなしで現物合わせで作るなぁ・・・って、我ながら感心します。
 ノーズコーンはどこかで手に入れたアルミの搾り出しのパーツを使い、ノーズウェイトが可変となるようビス止めすることにしました。
 悩んだのはエアダクト。プッシャータイプで、実機は胴体内部(ミッドシップ?)にあるエンジン冷却用に前後にエアダクトがあります。これはパネルラインでは味気ないし、どのみちモーターバッテリー等の冷却用に実用性のある形とする予定です。

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seden2大日本帝国海軍発表 次期局地防空戦闘機(乙戦)試作指示
一、四〇クラスEP機トシ、F2Bガ可能ナ性能ヲ有スルコト。
二、外観ハ拘リヲ持チ、実機ニ忠実デアルコト。(上半角ハ必須)。
三、試作機デアリ、リードアウト、翼端重量ハ可変、操縦系統ハ容易ニ修正可能デアルコト。

 9月23日現在、主翼は前面、中央プランクが終了。上半角を付け、ベルクランクを主翼の上面ギリギリにセットし、リードアウトワイヤが水平になるようにしました。
 問題の太い丸胴は、九六陸攻で実績のある上下分割方式とし、定番の上で固定しながらプランクすることにしました。胴枠はもちろん機首から「甲」「乙」「丙」「丁」「戊」「己」「庚」・・・と印付け。胴体前後にある空気取入口の処理を頭の中で考えながら、いよいよ胴体の製作に。本当はプロフィール機として作りたかったところ、師匠(JPS氏)から、ダメ出し。セミスケール機はやっぱり丸胴でないとね。
 ノーズギアのすぐ後ろにリポバッテリーのスペースを確保し、アンプ、モーターの冷却も考え・・・で、結局、いつもの現物合わせで適当に作ります。
 実機はモックアップのみで試作が中止されたため、詳細な資料もなく・・・でもその分、コックピットもいい加減に作ればいいかぁ。

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senden1 ついに新作機の製作開始。
 エンジン機では困難だったセミスケール機がEPなら可能となり、ゲテモノ第1弾として、まずは40クラス「閃電」。
 「閃電」は、昭和17年の乙戦(局地防空戦闘機)で、プッシャー式。実用化の時期を逸して、生産されなかったものの、じゃあ私が作って空に舞い上げようと。
 なるべくシンプルに軽く・・・と思いつつも、丸胴で上反角も実機どおりに、リンケージは内装にしないと格好悪いし。などなど考えつつ、いつもどおり実機図面を拡大コピーしただけの設計図と睨めっこ。
 いつもなら、なぜか尾翼から作るんですが、今回は何と足回りから。手始めにノーズギアのオレオ脚を1日かけて製作。まだ肝心のオレオの部分ができていませんが、4mm、6mm、8mmのアルミパイプ、4mmの真鍮パイプとスプリングを組み合わせ、現物合わせでコツコツと。金属加工は苦手ですが、頭の中に試作機色(オレンジ)の閃電がF2Bスタントをやってる姿を無理やり想像して頑張りました。
 3輪式は地面の凸を拾うと、跳ね上がって離陸するとよく言われますが、このスプリング式の脚なら大丈夫そう!

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  待ちに待った「海軍カレー」が届いた。
 当時、帝國海軍は毎週末、カレーを食べていたらしい。今でも海上自衛隊では金曜日にカレーを食べるているとのこと。海の上での生活では、カレンダーも曜日感覚も遠のくことから、毎週カレーを食べることによって、体のリズムを整える効果もあるとも聞いている。
 当時の味そのものなのか、比較する術もないが、「大日本帝国海軍横須賀鎮守府 海軍カレー」と書かれている。以下は、パッケージの能書き
 「明治時代「洋食」といえば、それはカレーライスのことだった。文明開化の象徴ともいうべきこのカレーライスを本格的に取り入れたのは横須賀を発祥の地とする旧帝国海軍だった。その後、呉・舞鶴・佐世保の旧鎮守府を通じ、全国に広がった。
 後に日本人にもっとも馴染みの深い食事となるカレーライスは、横須賀の海軍からはじまったのである。
 そしてここに、平成の今蘇るレトロな味が誕生したのである。
 また、好評の海軍カレーを始めとする「海軍シリーズ商品」は、私どもが日常求めて止まない「平和祈願」へのよすがとなり得れば幸いと存じます」

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